
「総社に来ると、
薄荷の匂いがする」
総社に来ると、薄荷の匂いがする。
それが、私たちの目指す風景です。
薄荷は、かつてこの土地の産業であり、生活のそばにありました。
しかし時代の変化とともに、その存在は次第に意識されなくなっていきました。
私たちは薄荷を「懐かしいもの」として保存するのではなく、
いまの総社の時間の中に、もう一度根づかせることを目指しています。
香りは、形として残りにくいものです。
だからこそ、意図して守らなければ簡単に忘れられてしまいます。
人が集い、手を動かし、同じ時間を過ごす中で、
薄荷に愛着をもってもらいたい。
私たちの活動は、薄荷を通じて
土地・人・営みをゆるやかにつなぎ直す試みです。
味わうこと、語ること、使うこと。
それら一つひとつの積み重ねが、
「この場所らしさ」を再び日常の中に取り戻していくと信じています。
私たちは、薄荷を未来に残すのではなく、
薄荷のある総社を、未来に継承していきます。




総社市は岡山県南西部に位置し、岡山市および倉敷市に隣接する地理的条件から、交通利便性と自然環境の両立した都市です。古代吉備文化の中心地として、古墳や国分寺跡をはじめとする多くの歴史的遺産が残されています。
SOJA
総 社
総社と薄荷の歴史


薄荷(ハッカ)の始まりは江戸時代に総社出身の秋山熊太郎がこの地でハッカを栽培して初めて商業化し、その後全国へと広まりました。
01
はじまり
総社は、日本で初めて薄荷の栽培が始まった土地とされています。
江戸時代、この地で育てられた薄荷は、薬用や生活用品として用いられ、
土地の気候や人の手と結びつきながら、作物として根づいていきました。
03
最盛期
明治から昭和初期にかけて、日本の薄荷産業は最盛期を迎えます。
国内各地で栽培が行われ、薄荷は世界的にも評価される素材となりました。
総社の薄荷もまた、その流れの中で重要な役割を担っていました。
02
ひろがり
総社で培われた栽培技術は、やがて各地へと伝わり、薄荷は日本各地で生産される素材へと広がっていきます。
香料や医薬用途として需要が高まり、
薄荷は産業として日本の暮らしを支える存在となりました。
04
衰退へ
しかし、海外産の安価な薄荷の流入や需要の低下により、国内の薄荷栽培は次第に衰退していきます。
発祥の地である総社も例外ではなく薄荷は日常の風景から姿を消し、その存在は記憶の中にとどまるものとなっていきました。

薄荷は、この土地で育ち、使われ、広がっていった素材です。その歴史は、総社の営みそのものと深く結びついています。
しかし、時代の変化とともに、
薄荷は日常の中で使われなくなり、
総社の特産品としての知名度は失われていきました。
薄荷は、この土地で育ち暮らしの中で使われてきた素材です。その薄荷を起点に、総社の価値を見つめ直し、育てていく。
私たちは、そのための方法として薄荷を中心に据えた素材ブランディングに取り組みました。

素材ブランディングとは、地域全体ではなくひとつの素材を価値の起点として据え、人との関係を育てていくブランディング手法です。
薄荷の香りをきっかけに、知る・触れる・関わる。
素材への愛着を育てることが、総社との関係につながると考えています。
素材ブランディング

活動について
阿曽小学校での
体験型授業
阿曽小学校の「総社大大大好きプロジェクト」の一環として、地域の特産品であるハッカをテーマに、小学3年生と共に学び、育てる活動に取り組みました。イベントを通して子供達の総社への関心が高まりました。
NHKや地方局の
取材
地元の放送局やNHKからも取材を受け、地域における教育活動や資源活用の取り組みとして紹介していただきました。メディアを通じて活動の意義を広く伝える機会となり、地域内外からの関心も高まりました。
グッズやリーフレット
の制作
制作したロゴマークを用いたTシャツやリーフレットを制作しました。またシールやパッケージの試作も行いました。総社の各所に配布したリーフが興味を持ってもらうきっかけになりました。




薄荷の清涼感を思わせる緑をまとったTシャツ。遠くからでも一目で私たちの存在が伝わる、シンプルで印象に残るデザインに仕上げました。

リーフレットでは、ハッカの葉をモチーフに手に取れるようなデザインにしました。葉の形がもつディテールを再現するために、レーザーカッターを使用しています。
教育と薄荷編
食と薄荷編
NPO法人
総社商店街筋の
古民家を活用する会
岡山県総社市総社3丁目5-8
TEL: 070-8423-8287

